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『二度寝とは、遠くにありて想うもの』津村記久子 講談社、2015年
(表紙写真は出版社サイトよりお借りしました)

まだ未読ですが、著者の初エッセイ集『やりたいことは二度寝だけ』に次ぐ、二度寝シリーズ第二弾を先に読んでみました。
(ちなみに一番新しいエッセイは『くよくよマネジメント』(清流出版)というこちらもぐっとくるタイトルで、早く読んでみたいです)

そういえば、二度寝とは縁遠い生活を送っているので、二度寝は憧れそのものです。二度寝したら次の朝まで寝るので、なかなか決行できません(不器用で、少しずつ寝たりができず意識あり/なしのスイッチしかない)。
人それぞれ好ましい睡眠パターンや悩みがあると思いますが、忙しい著者がタイトルに掲げる「二度寝」が、桃源郷のように私にも思えてきます。

冒頭から、激しい布団(ふとん)愛が語られます。今まで私の接した布団愛の中でも、満場の声援が聞こえてきそうな、もっとも熱いものだと思います。愛のエッセンスを煮詰めた純度の高い文章なのでそのまま書き写すのに気が引けますが、少しだけ引用させていただきます。

  四年ぐらい前からずっと言っているのだが、布団のすごさとは、電気、ガス、石油等は不要なまま、人間の体温のフィードバックのみで暖かくしてくれるということで、昨今のエネルギー事情を考えると、やっぱりもう布団というものは、抜きん出て素敵な人間の発明であると断言せざるを得ない。(中略)
 
 著者は敬愛の高まりを抑えられず、ついには声に出して「いつもありがとうございます」と布団にお礼を述べるに至ります。

  その後はもう、芋づる式である。「ああもう帰ってきたよー」「今日もいやなことがいっぱいあったけどなんとか帰ってきたよー」「くそさびー」「この後も起きて仕事(文章を書くほう)だけど今はとにかく寝てるよー」「ありがとうさんよー」「もうここから出たくないー」「ふーとーん」「ふーとーん」ひとしきり感謝を述べた後は、かならず布団コールで締める。
            (「布団への限りない敬愛」より)

この布団への愛の告白の告白は、「布団を崇め奉ることを自らに解放することによって、わたしは以前より少し幸福になった」と述懐され、「遠回しにお勧めする」と締められています。本書で随所に語られ求められている「解放感」、「リラックス」についての考察の象徴のように思えます。

ちなみに、リラックスするにはある程度疲れていることが条件になるのかもしれないので、別に疲れていてもいいのだ、という逆説も書かれていて、なーるほどー、と思いました。

その他にも「方々で、自分が国籍を問わず道を尋ねられる、「道訊(き)かれ顔」業界における三十四年の老舗であることはよく書いているのだが、妙齢以降の女性限定の「話しかけられ顔」でもある」(「気安い顔の災難」)とか、

著者の頭の中で回ってしょうがない歌、というのが「ちなみに、わたしの頭の中で回っている歌は、サントワマミー、ボサノヴァ風、ヴァン・ヘイレン風、キューピーのCM風と手を替え品を替えながら、一貫してあるスポーツ選手のおしりが大きいという内容を歌ったものである」(「牛の好きな歌」)という、なんかわかります! という共感系があります。

面白い話も多いけど、含蓄深く斬新な定義・・・というとなんだか陳腐なほめことばで申し訳ないですが、たとえば読書から得られることについて、情報について、「友達がいなさそう」が罵倒の文句になりうることについて(友達、という言葉に過大な役割や価値をあてはめてはいまいか、という内容でとても共感しました。友達は大事だけれども、見栄えとは関係ないですよね。表紙にもある一人鍋の幸せの描写も美味しそうです)、そういった深くうなずく話も多いです。基本笑い転げながら読みました。

今、図書館の予約棚で、著者の新刊『浮遊霊ブラジル』が私を待っています。早く取りに行きたいな〜。

最後までお読みいただきありがとうございます♪
読んでくださった皆さまの週末が、気持ち良く布団で眠れる楽しいものになりますように。
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