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『イヴ・サンローランへの手紙』ピエール・ベルジェ著/川島ルミ子訳 中央公論新社、2011年
(表紙画像は出版社サイトよりお借りしました)

私の宝物のような、何度も読み返している本です。
読み返すたびに「なんて素晴らしい文章なんだろうか、訳文の文体も」と毎回新たな感動に打ちのめされます。

胸が痛むような深い愛に満ちた本で、サンローランと50年にもわたる公私のパートナーシップを育んだ著者による、日記形式の情熱的なラブレターです。
そしてたいへんゴージャスな本です、 登場人物と取り巻く環境もそうですが、著者は豪華絢爛な知性という言葉がぴったりな人物だと思います。

稀代の世界的デザイナー「モードの帝王」を初々しい黎明期から支え、恋人であり保護者であり、一流の知識人と経営者としてのセンスを併せ持つ美術・文芸コレクターでもある著者は、前時代のヨーロッパ的教養を体現した鑑のように思います。本文の中で彼が多量に引用する文学作品や詩、クラシック音楽に関する文章は、研ぎ澄まされた本物の価値にたくさん触れてきた人ならではの視点、読むべきもの、聞くべきものを教えてくれます。

ただ残念なことに、この愛の手紙は、パートナーの功績を讃え、その最期を送る言葉(葬儀でのスピーチ)から始まっています。

 私たちが出会った日の、パリの朝のなんと若々しく美しかったことよ!(中略) 
 私が語りかけているのは君だ、私の声が聞こえず、私に答えることのない君なのだ。(中略)
 今や別れなければならない。けれどもどうすればいいのか、私にはわからない。なぜなら、私は君から決して離れないだろうからだ  私たちは別れたことなどあるだろうか?   たとえラグダル(マラケシュ)の庭園の向こうに太陽が沈むのを私たちが共に見ることが二度とないことを、絵やオブジェの前で感動をわかち合うことがもうないことを知っていようともだ。そうとも、そのすべてを私は知っている。もちろん私がどれほど君に恩があるか決して忘れないことも知っている。そしていつの日にか私はモロッコの棕櫚(しゅろ)の樹の下の君に合流しに行くことも。君と別れるにあたり、イヴ、我が賞賛、我が深い尊敬、そして我が愛を君に捧げたい。

                             (二〇〇八年六月五日)
 
私の本には、二人が狂騒のモード界を逃れて住んだ、マラケシュの別荘で楽しそうに笑っている写真が載っているサンローランの追悼記事が切り抜いて挟んであります。会場であるパリの教会にハート型の赤いバラの花束を飾り、サルコジ大統領(当時)夫妻らが居並ぶ前で「お別れだ。愛している」と声をかけた著者は「ベルジェ氏との二人三脚による成功は、パンツスーツ(タキシード、トレンチコートなど女性が着なかった服)で女性を古い服装の価値観から解放しただけでなく、同性愛をタブーから解放するのにも貢献した」(F.ミュレによる、朝日新聞2008年7月11日夕刊、飯竹恒一)と評されています。

半年後から、著者は話しかけるように「読むことがないことを十分知っているけれども」「私たちの会話を継続させるため」イヴに日記のように手紙を書き続けます。

表紙の写真よりずっと前、二人の出会った頃や、6〜70年代のイヴの肖像写真は、いくつかの写真はあまりに美しいので見とれてしまいます。どれもこれも鋭く尖ったラインの、感情をしまいこんだ人形のように端正で、内気な獰猛さを隠しているような一種人間離れした目つきの、凄みのあるピリピリした美形の青年です。

語り口は限りなく理知的で穏やかなこの本を読むものは、ベルジェによる「常軌を逸したふたりの愛」、「私たちの愛の物語」の断片的な回想を交えた語りかけから、彼が何を見てきたか、彼の恋人の人生に何が起こったか、その推移を遠巻きに・赤裸々なものを想像することになります。そのイヴの人生を貫くイメージの印象は、外面的なものも内面的なものも、ひたすら過剰なものです。それはサンローランの商業デザイナーではなくアーティストとしての仕事への姿勢、「苛酷なまでに」妥協を全く認めない完璧さにもつながるものに思えます。

エピソードはほんの一部のものではあるものの、その極端さ、異様さとスケール感から、とてもハードな関係だったことが伺えます。それでも「私たちは愛し合い、ふたりの存在を結びつけようと試みた。そして驚くべきことに、それは五十年間うまくいった」のです。
うまくいく理由、それは「知性」をおいて他にないのかもしれないと読んでいるうちに思わざるを得ません。サンローランもインタビュー(年月不明ですが)で、「人間の資質の中で最も好きなものは?」と聞かれて「知性」と答えています。(ちなみに最も恐ろしいものは「ひとりぼっち」。)
あまりに優しく、知的かつ情熱的に、そうとはわからないような言葉が率直に並んでいくので、読んでいくとベルジェこそ理想の人のような気になってしまうくらい、いうに言われぬ魅力があります。

この手紙(日記)を書いていた時期というのは、ノスタルジーを嫌うというベルジェがサンローランの死後まもなく、二人の築き上げた古今東西の700点以上の美術コレクションをオークションに出した時期に並行しています。準備でパリの家が空っぽになっていく過程は、愛する相手に優しく確認するように二人の歴史と成し遂げたこと、培った思想、愛そのものを文字に興し、精神を昇華して総括していく道程に沿っています。

最後の日々に病苦によって気難しかった印象のあるイヴの、真の幸せな彼の姿を書き表し、「エリュアールがヌーシュ(ニュッシュ、妻)にしたように、私が目にするすべてのものに、私を取り巻くすべてのものに、君の名を書く」明晰で冷静に、愛を語り尽くそうとするピエール・ベルジェの文章は、本当に静かに深く胸を打ちます。

なぜ他人の、それもセレブで特殊な、時代の違うカップルの愛の話、さらに胸が痛む手記を読むのだろうと自問しますが、ベルジェの文章に惚れてしまったのもありますが、本当に老いる前に、今現在を生きる者のためとしか言えない感じです。愛する存在との関係が動いているうちはなかなか振り返って得ることのできない、本当の智慧のようなものを感じました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
去年暮れには、今度はベルジェ氏は蔵書のオークションも行ったようです。もっと著作を読みたいです。
この週末がお天気回復しますように! 皆様も良い週末をお過ごしくださいね。
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80冊目になりました❤️

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