9784093884358
『少年の名はジルベール』竹宮惠子 小学館、2016年
(表紙画像は楽天ブックスよりお借りしました)

正直を言って、ここまでワクワク・ハラハラ、しかも含蓄深く、興奮する本だと思っていませんでした。あの希代のストーリーテラー竹宮氏の本、この本の構成がそんな本だというのは当たり前なのですが、そんじょそこらの「制作秘話」な本ではありませんでした。面白い(興味深い)とわかっていたのだから、もっと早く読めばよかったです。私はアーティストというわけではありませんが、表現する方に特におすすめします。

表題の「ジルベール」が主人公の『風と木の詩』という作品は私にとって、染まったというよりは、リアルタイムの連載が自分の幼年〜思春期に伴走していたため、細胞に取り込んで成長してきた「基本の書」であり、教養書のようなものです。
物心ついて少女漫画に目覚めた時(具体的に言うと病院の待合室に、少年チャンピオンや黄金期の漫画雑誌がゴロゴロしていた時代です)、すでに「風木」は背徳の香りを漂わせてそこにあり、高校生の時に連載が終わりました。最終巻は高校の授業中、休み時間が待てない友達の間で涙目で回し読みされていたものでした。私が改めて言うまでもなく、他に類を見ない金字塔のような傑作だと思います。

『風と木の詩』が生み出されるにあたり、世の中が受け入れてくれるまで作者が機を待っていたこと、重要なブレーンである増山法恵氏の存在、他の作品にもよく出てきた「大泉サロン」という場所については、断片的にしか知らなかったつながりを知ることができました。すべては「風と木の詩=ジルベールの誕生のため」にあったよう、彼を世に出すことは作者にとっては「少女漫画のための小さな革命」だったこと、私のような一ファンが「教養書」とまで受け止める内容が妥当であり、それがいかに作られたのかがよくわかります(愛のあまり文章が堅苦しくなってきました)。

この本はその渾身の一作が「生み出され、作り出される」までに主眼が置かれ、美しいカラー口絵がはさまれているものの、作品『風と木の詩』の内容にはあまり触れられていません。生み出された作品は、もはや作家自身のものではないとよく言われますが、単純に作品内容だけでも膨大なページ数になるのだと思われます。

あの鞭がしなるように美しい、天才職人的な線描写とダイナミズムの作風の竹宮惠子氏でさえ、こんなに苦しんで作品を生んできたのだと、愛読してきた初期の作品名の羅列を見ながら、胸が痛む気がしました。レベルが高い人は自分に手厳しいですけれども、確かにあの時期の萩尾望都氏と同居していたら、どんな作家でも大変だろうなと。。。でも、プロポーズのような微笑ましいエピソードと、お互いに与え合った電撃的な影響が読んで取れるのが興味深いです。

そして、竹宮氏にとって強力なブレーン・プロデューサー・演出家であり、ありえないくらいのエネルギーをお互いに傾けあった増山法恵氏との不可欠な出会いは、それこそ漫画のようにドラマチックです。増山さんについては、今まで語られた本があったのかもしれませんが、私はこの方の成し遂げた仕事にとても興味を持ちました。

なにせ、18,19歳の頃に、萩尾望都と手紙を通じて親交を持ち、萩尾氏と竹宮惠子二人の才能を見出し、彼らが上京した時には自宅向かいのアパートに住まわせるよう采配し(大泉サロン)、豊富な知識と教養をもって、当時軽く見られがちだった少女漫画に「本物の」文学的・映画的な視点を入れてグレードアップさせ、プロデューサーとして作品を膨らませていくのです。
打ち合わせ(アイディア出し)の仕方も独特で、キャラクターの動作の向きや強さまではっきりイメージが立ち上がるような、「演劇の世界でいえば、セリフの一つ一つを演出家が俳優に真似させる「口立て」で行う演出のようなもの」だったようです。ストーリーの構成力があると同時に、映像を伝えることができるような。なかなかこんなことはできないと思います。
教養高い腐女子の祖とも言える増山氏の仕事はそれだけではないのですが、編集者ではない個人の熱情がここまでの影響を与え、作家を動かしていくのだというのに感動すらおぼえます。

 「私ね、本物しか好きじゃないのよ。演劇も音楽も、美術も、映画も、もちろんマンガも。
 私はこれからも一流のものしか観たり聴いたりするつもりはないし、みんなにもそうあってほしいの。(中略)だから、私が一流と認めるようなマンガ家になってほしい」

                     (増山法恵氏の言葉、「少女たちの革命」より)

私も以前、漫画に関わっていたことがあります。「何を伝えたいか」「どう見せたいか」という意識を共有し、効果的な方法を探りながら、いかに表現者の潜在能力を信じ、ヴィジョンを引き出しふくらませ、モチベーションを上げ、必要なら飴と鞭で導くか。感覚的な人が多い漫画家さんに対して、かなり理屈っぽい編集方針の部署だったのもありますが、こちらの批評だけが先走り、「何を描いたらいいか、どうしたらいいかわからない」と泣く作家さんのやる気を削いでしまうこともしばしばでした。導くことの難しさがわかるだけに、増山氏(ものすごく辛辣ですが。。。)の関わりの的確さ、素晴らしさに感心しました。

そのほかにも『風と木の詩』が綿密な資料によって、その描写にリアリティが生まれていたこと、作者によって「教育的」と考えられて作られた作品だったということを読み、私が「教養書」と受け取っていたことが妥当だったのだと確信したり、
スランプの時期と、それを打破するターニングポイントとなった『ファラオの墓』の脚本づくり(と脚本の重要性)、「悪役」考、物語づくり。。。私にとっては目からウロコの文章がたくさんありました。
(ちなみに、竹宮作品で好きな「冷徹Sちょっとツンツンデレキャラ」はもちろん「ファラオ」のスネフェル王子、「風木」のオーギュと『地球へ・・・』のキース・アニアンです。同じタイプの顔ですね💕)

現在、大学でまんがを教えている竹宮氏ならではの、極意のような「教え」も終章に出てきます。
特に、脚本と演出については、感覚的なものを大事にしながらも作品づくりには欠かせないものとして、まんがに限ることではなく(たとえば音楽などにも)参考になりました。

 言いたいことははっきりしている。いいエピソードもある。でもマンガとしては面白くないし、盛り上がらない。つまり演出というものがよくわかっていなかった。これはやはり学ぶべきものだと思う。

 教えるというのは、その人に気付いてもらうということだ。これはマンガも一緒だと思う。自分が描いているマンガが面白いということを、読者が発見したかのように描く。

 そしてもうひとつ重要なことを教えている。「あなたのアーティストインプレッションを強くしなさい」ということ。(中略)大切なのは、目に見えないものを読者に「伝える」力、「伝わる」力のことだ。

 霧のような塊からありとあらゆる要素を、自分の外と中から引き出すこと。それが、読者に伝わるかどうかを模索し続けてほしい。

                      (「大学でマンガを教えるということ」より)

「咲き誇る花」というのは、『風と木の詩』の最初と最後に出てくる、ジルベールを表した言葉です。
著者は本書の最後で、奇跡的に巡り合えた友人たちをこの言葉で表し、謝辞を呈してしめくくっています。本書を読んだ後に読む『風と木の詩』は格別な気がします。

『少年の名はジルベール』小学館特設サイト(試し読みができます)
↑もおすすめです。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!
気軽に読める読みやすい本なのですが、私の思い入れで長くなってしまいました。
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