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『猫光線』武田花 著、写真 中央公論新社、2016年
(写真は出版社サイトよりお借りしました)

武田花さん(以下花さん)の待望の写真集が出ていたのを知り、急いで買ってきました。
猫の写真とエッセイといえば花さんですが、写真集として出ているのは2011年の『道端に光線』(中央公論新社)以来。
タイトルに「猫」が含まれる写真集としては7冊目なのに、やっと出た! という寡作な印象が毎回あります。それだけに新作が楽しみすぎる作家さんです。

待ちきれないので、本屋さんを出たところで開けて見てしまったら、二種類の鳥肌(期待以上のすごさに震えるのと、単純にコワイのと)がたちました。ああびっくりした。。。

まず今回は、初めて見る花さんのカラー写真とコラージュにおどろきました(ファンは腰抜かすレベルの大変化です)。
表紙の写真は、(わからないのですが)たぶん亡くなった愛猫による、腕を広げたような写真のコラージュ。襲いかかるように落下してきたようにも、この世界を救うようにも、単に抱っこされて持ち上げられているようにも見えます。その額にはさらに「光」という文字が(作品じたいではなく、印刷段階で?)ぺったり貼られています。金色の帯には「ぴかり、と世界を照らし出す猫満載 最新フォトエッセイ集」とあります。日本人離れしたようにパワフルな、追悼写真でもおかしくないこの写真が表紙なのです。

花さんの写真といえば、ライカで撮ったモノクロ一辺倒、通好みな印象です。
今までの作品に、勝手にキーワードを挙げるなら、渋すぎ・面白・睨(にら)み・可愛・寂寥・眩(まぶ)し・廃(すた)れ・乾湿・粗密・ざらざらしっとり・人気(ひとけ)ない・モノが怪しい・孤高、といった印象の作品に、陽にぎゅっと顔をしかめた猫が点在するような感じ。
今回はそれに加えて、たとえるなら時間になるとレーザービームにネオンがきらめき、キューピーやフランス人形が回ったり、噴水や演歌、お線香スモークが流れ出す派手な仏壇が加わったような印象でしょうか!?(そんな仏壇があるかはわかりませんが)

花さんのことを、その写真の猫たちが、忘れられたような風景の中で陽なたぼっこしていたりする写真が多いせいか、以前は「ほのぼの路地裏写真家」と受け取る人もいたそうなのですが、うーん、それぞれだけど、ちがうような気がするなあ。
友人が「花さんの写真を見ると、癒される」と言っていましたが、その人は「ほっこり」「かわいい」という意味で言ったわけではなかったと思います。実際にヒリヒリした傷が癒えてたんじゃないかなと。

手元にある切抜きを引っ張り出してみました。

 武田花さんが木村伊兵衛賞を受けるという噂が町々に伝わったとき、だいぶ前町をうろついていた変わった女の子が撮った写真が賞になるとは、全国に「有名」になる「町起し」が今こそできると喜んだ町の有力者達が、急いで現場に行って眺めてみると、あ、これは、町の恥だ! と、底もなくがっくり落ちこんだとのことである。(中略)このように「生き恥さらした」歪み凹んだトタン板や倒れた石や古びたコンクリートの建物などの負の迫力をもった写真ばかり撮って、「町起し」に走る有力者達の輝かしく空頼みした希望の総崩れを花さんがもたらしたのも(中略)花さんには、吾国の「生き恥さらした」さまざまな負の領域を、これからもなお、とり落とさずに記録しておいてもらいたい。
                (埴谷雄高による『眠そうな町』書評、marie claire japon,1990.7)

そうした一種凄惨・ギリギリな感じのする被写体も、(これは私の想像なのですが)花さんは、力んで撮っているわけではなく「気持ちよかったから」「いいなーと思って」撮っているのだと思います。凡人にはわからないのですが、アーティストの動機や反応って「あったから。」「いいと思ったから。」的な説明が多く、説明できるんだったら作ってない(撮ってない)ということが多い気がします。

しかしながら、花さんファンにとって幸せなことに、だいたい写真集には珠玉のエッセイがついてきて、直接写真の説明ではないけれど、「花さんのフィルターを通すと、現実ってこんなふうに淡々と、すごいことばかり起こるんだなあ」と写真と絡まり合って非現実的「真」を「写」した世界が開陳されるのです。

前から、うっすら怖いぞ怖いぞとは思っていましたが、今回の作品では、おっかなさが陽の元にばーん! と曝されて虫干しされているような怖さがあります。怖いけど開けっ放しだから、つい見ちゃうのです。怖いものが写っているわけではないんですけど。
貴重なインタビュー(東京綜合写真専門学校、1997年と思われます)では、「怖い本が好き」で
「私ね、自分の写真にできれば犯罪の香りが欲しいわよ。」「写真を撮らないにしても、風景を見ていて、ふっと頭に浮かぶのが死体だったりするの。なんかね、なんかその向こう側に死体がありそうな、とかね。」と仰っています。どうしてだろう? そこまで怖い写真じゃないけど、と思っていましたが今回つながりました。

そういえば、『猫・陽のあたる場所』(1987年)出版記念展に伺って、たまたまいらしたご本人にお目にかかったことがあるのですが、ご挨拶しようと緊張して深々と頭を下げたら、勢い余ったらしく私の長かった黒髪がばっさーと全部前に垂れ、そのころはなかったですがかなり「貞子」的出現になり、きっと不気味に思われただろうことが恥ずかしく思い返されます。やっぱり花さんのまわりには、不思議なことが起こるのか・・・!?

そんな私はどうでもいいのですが、お目にかかった印象は、珠(たま)のような怜悧でつぶらな瞳、びっくりするくらい美しい方でした。ええと、人間離れされているような、猫近いような気がいたしました。勝手なことを申し上げて良ければ、この表紙の「光」の猫にも、少し似ていらっしゃる気がします。

前作の名前にも出てきた「光線」とは花さんにとって何をさすのでしょうね。とても重要な気がします。
タイトルの「猫光線」とは、帯の文句から察するに、きっと猫から発される光線で、ひとたびその探検隊のヘッドライトに照らし出された光景は、こちら側を異次元にしてしまうか、猫にしか見えない世界を透かし見せてくれるのでしょうか。言うだけ野暮な気もしますが。。。

最後までお読みいただいて、ありがとうございます。
先のインタビューをした方によれば、花さんはもし写真家でなかったら「ロシアの女諜報員」とかも似合う方のようです。よくわかる気がします。

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いつも本当に、ありがとうございます。