9784480068736
『アイヌと縄文 ーもうひとつの日本の歴史』瀬川拓郎著、筑摩書房(ちくま新書)、2016年

今まで知らなかった世界の本に手を出してしまいました。とんでもなく分け入っても分け入っても深い山が広がる世界です。まとめてお話しできるほど理解できていなくて、ただの断片的な感想だけですみません。

その前にまず、縄文の方に謝りたいと思います。
私の縄文イメージは、興味があったにもかかわらず、この本を読むまで大昔の「まんが日本の歴史」を出てはいませんでした。
つまり石器時代がちょっと進歩したくらい、毛皮の衣に(なぜか片方の肩が出ている)頭の上でわら束のように結んだ髪型、集落はのんびりと自給自足し、文字がなく交易などはわずかで、土器の芸術的な表現はよく知られているけれど意味は謎につつまれ、自然や周囲の環境に対して謙虚で受け身、弥生人が来て「日本」が動き出すまでの流動性のない牧歌的な時代、という単純なイメージです。

でもこれは縄文人からしたら、あとから来た人の子孫はそう思ってるんだってねー、なんにも知らないのね。教科書もよく読むと色々書いてあったのよ? という話にすぎません。さらに先住=原始的というイメージは、征服者の歴史塗り変えあるあるでもあり、特に明治以降に単純化したものなんだろうな、と自分の浅い理解を反省しました。

私の漠然と想像していた歴史、(日本全土に人口密度低く住んでいた縄文人が、何度にもわたって渡来した弥生人に征服される→生き残った人々が山や島などに追い詰められて移住、その中でも北方のアイヌ民族の先祖は北海道の限られた区域を出ずに定住、独自の文化を築く→その他の縄文人の末裔は弥生人と同化、日本人の成立)というのが部分的に間違いが多いのがわかりました。考えてみればわかるように、現実の歴史がそんな単純なわけないです。そして、最近の研究で、停滞した狭い縄文社会というイメージはくつがえされてきたようです。

同じ縄文人だったのに、あるところから弥生人になることを拒否し、縄文の習俗をとどめてきたアイヌ文化最新研究調査を通じて「現代日本人にとってありえたかもしれないもうひとつの歴史」を教えてくれ、「アイヌは縄文文化のなにを、どのようにうけついできたのか」を考えるこの本は、そんな常識に無知な私を置いて、新書のスペースも限られているのでどんどん進みます。

まず序章では、「近代まで、それも弥生文化の本家本元であった西日本のなかに縄文文化の伝統を残してきた人びとがいた」という漂海民(おもに漁業者、海賊、元寇などとも)の話から始まります。当時は現在の「国」の考え方とはちがっているのですよね。ざっくり「アジア」の中を動き回っていた人たちは、この民だけではないようです。(関係ないけど、日本地図をひっくり返し、中国大陸側から日本列島を南に見た地図が好きです。日本はちょっとバカンスによさそうな最果ての島、日本海がみんなの塩湖に見えてくる不思議。そりゃあちこちと交流や利権争い、食い詰めて流れる、などがありますよね。)

北海道から北東北だけでなく、近年わかってきたという日本列島の民族の動きはかなり複雑で、私には読んでもなかなかつかめませんでした・・・! 時代によって本州から北上したり北海道やサハリンから南下したり、「中央」からオホーツク人を討伐したり、島根県のあたりの民族と北東北の民族が同じ言葉を共有していたり、長野・群馬に渡来した民族が岩手や北海道で暮らした遺跡があったり、ヨーロッパ系を基底にもつ民族の流入があったりetc。

著者はこの本で大きく、言語学的アプローチと、古代からの毛皮(に代表される北方の生産物)の需要と交易という要素を柱に、考古学的に考察される機会の少なかった縄文→北方文化を示しています。

私は、自分は無意識に、大昔の異民族というのは必ず対立し、領土は戦って奪って広げるもので、好戦的なんだと思っていたのがわかってちょっと恥ずかしかったのですが(そういう民族もいたと思いますが)、少なくとも北海道から北東北にかけての研究によってわかってきたのは、異なる民族と思われる集団同士が、まだらに定住していたケースが多い事実です。お互いの交易でメリットがあったにちがいありません。(商店街にあとから進出したお米屋さんがお肉屋さんを征服したりしないのと同じかと思われます)

「蝦夷征伐」といわれたものも、「中央」政権が単純に気に食わない「単一民族エミシ」をやっつけにいったわけではなく、当時非常に重要だった毛皮交易の利権を確保するために、利害が一致した続縄文人のうちの民族(太平洋側・日本海側など、ルーツや言語の違う民族に分かれています)とともに、オホーツク系の民族を排除した史実が残っているようです。どの時代のどの人が擦文人でアイヌでエミシなのか混乱してしまい、理解不足で申し訳ないのですが(汗)

話は戻りますが、世界の言語地図では、どこの太いグループにも属さない「孤立言語」というものが9言語あります。そのうちの4言語が日本列島周辺に集中しています。4言語をさらに共通点で分けると、北から連なるように(ニヴフ語・アイヌ語)(朝鮮語・日本語)というほぼ肉親的関係のチームに分かれ、この2つのチームは古い時代につながっているといいます(言語学者松本克己による)。(個人的には世界の言語地図を見ると、ぽつーんと離れた二人のきょうだいが身を寄せ合っているように見えて、日本語族と朝鮮語族とは、さらにアイヌチームとも仲良くしなくてはいけないと素朴に思うのです)

さらに、このうちアイヌ語だけは「抱合語」(文に相当する内容を一語で表す。私-君-与える、は「a-e-kore」。シベリアから北アメリカの先住民にもみられる)という特徴をもち、言語学的に出アフリカ古層に分類される、アジアのルーツをも含む縄文の言葉の可能性が示されています。非常に興味深い言語です。古さからいって、アイヌ語が日本語にまざっていてもおかしくありません。

もちろん色々残されていますが、それは一方通行なのではなく、私が勝手に生粋のアイヌ語だと思っていた「カムイ」、また太平洋側のアイヌ方言であるという「ウンマ」は日本語からの借用なのだそうです(北海道には馬はいなかったため、群馬からの移住者にも関係あるのではと思われます)。特に祭祀関係は、古代日本の神事に通じた本州からの移住者が伝えたものといわれ、「カムイ(神)」「タマ(魂)」「オンカミ(拝み)」「ヌサ(幣)」など大半が借用語とされています。

異文化がまざり合う背景には、必ずしも乱暴な征服・被征服の関係だけがあるわけではなく、交易の便宜を図るため、婚姻も含めた交流があったのでしょう。続縄文期から始まる、権力の象徴としてのクマの毛皮の取引、その後のサケ、一級の矢羽の材料であるオオワシなどなど、本州と取引する品々の交易(特に毛皮)にまつわる活動が、北方の歴史を作ってきたのだということがわかりました。
(そして、北海道物産展の人気にその歴史で他の都府県がかなわないことを納得しました)

ほかにも、縄文文化の特色を示すものとして、その巨大な土木遺産は「富が特定の個人やグループに集中することをさまたげ、権力や階級を生成させない」平等なシステムそのものであった可能性、縄文時代から見られる日本中の特産物の多種多様な流通について(沖縄の伝統的な食文化では、昔から北海道産の昆布消費量日本一と聞いたことがありますが、もしや縄文時代からかもしれませんね)、

日本列島各地の縄文人は、生態系のちがいを超えて同じ「縄文イデオロギー」と呼ばれる共通の宗教や儀礼を共有していたこと(これも交易と関係あるのでしょうか。「最新土偶特集・時代はもう後期☆ 今、畿内デザインが熱い!」的な月刊縄文な石棒があったりするかもしれません)、
縄文文化を受け継ぐアイヌによる「取引」は直接的な物々交換ではなく、儀式的ともいえる「贈与・交歓儀礼」で「親戚」として結びつけるという形をとったことなどなど(これは冒頭の漂海民族に通じます。高い文化レベルと、カネで買われることを拒否するプライドを感じます)。

各文化の葬送の仕方の類似・伝播もたいへん興味深いものです。日本の神社の建築様式(屋根の千木)がサハリンアイヌの棺の様式に与えた影響や、それに似た形の習俗(墓の上に小さな家形を置く)が日本各地にもあること、洗骨葬の伝わっている範囲の広さ(サハリンから沖縄諸島まで)などなど。「日本、北海道、サハリン、アムール川流域の人びとのあいだに、知られざる文化の輪が浮上してきたのです」と著者は述べています。

山口小夜子さんの晩年のプロジェクトは「蒙古斑=東アジア人=混血の印」だったのを連想しました。
アジア人はつながっているのですね。「アイヌと縄文」という切り口からではありますが、そして自分とアイヌが考古学的には、想像していたより遠くなった気がしてちょっとさびしいのですが、大きくつながっていると思うことにいたします。

こんなに濃い本は久しぶりに読みました。まだまだアイヌ独自の信仰や「縄文時代と奈良時代に山頂に置かれた大量石器の謎」「山伏信仰と縄文思想」「秋田のマタギは、里をとおらず山だけを伝って大和地方(奈良県)まで往来することができた」とかとか、もっと教えてー! という情報がてんこもりのこの本、とてもおすすめです。

縄文にコーフンして、長くなってしまいました。。。読んでくださった方すみません。
最後までお読みいただいた方にお礼を申し上げます。

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いつも本当に、ありがとうございます。