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『吉田健一 対談集成』吉田健一ほか 小沢書店、1998年、絶版
(講談社文芸文庫あり、2008年)
(写真はAmazonよりお借りしました)

●吉田健一(よしだ・けんいち)1912〜77
東京生まれ。外交官だった父・吉田茂の任地に従ってイギリス、フランスなどで育ち、ケンブリッジに学ぶ。31年中退して帰国、文学を志して河上徹太郎に師事する。ポーやヴァレリーを翻訳、(中略)戦後は「英国の文学」などの批評、「酒宴」など不思議な味の小説、軽妙洒脱な随筆「乞食王子」「三文紳士」そして翻訳と、幅広い創作活動を展開する。
(奥付著者紹介より)

突然ですけれど、吉田健一とロバート・キャパのニヤリ顔って似てませんか?
(やっと言えてスッキリ✨)
今日もどうでもいいミーハーな話からで失礼いたします。

よく「外国文学は出だしからして読みにくい」「(ある種の)翻訳ものの文体が苦手」という話を聞くことがあります。翻訳というのはどうしても、ただでさえリアリティーのないカタカナ名前が主人公なのに、文法のまったく違う日本語(それも人工的な標準語)に置き換えてあるので、不自然なものになります。明治期の翻訳文だと、著者から訴えられそうな大胆な造語もあってわかりやすかったりしますが、現在は原文に忠実に訳す使命と、文学的な表現の谷間で大変なんだろうなと思います。

ところが、吉田健一の翻訳文は、その自然さで私にとってものすごい吸引力があります。
天下の食通で知られるヨシケンですが、彼がひとたび文学を吸収して咀嚼し、その国を超越したひょうひょうとした胃袋に通すと、もうどうしようもないリアリティーが生まれるのです。そうとしかいいようのない自然さがみなぎっている文章になります。なおかつファンタジーというか。

その中でも、会話の訳の独特さにひかれます。特に『ブライヅヘッドふたたび』(イーヴリン・ウォー著)の翻訳文の中で、読んでいるとじつに作品の世界のもやが立ちこめてくる言い回し、
人を魅惑してしまう若い貴族の学生セバスチアンの不思議なかわいらしさを強調するような訳文を繰り返しあてはめているのが好きです。

 「君は何も知らないんだね、チャールス。あすこには何とも立派なアーチがあって、それにあんなに色んな種類のきづた、私は今まで知らなかった。あの植物園がなかったら私はどうするかしら。」
(『ブライヅヘッドふたたび』イーヴリン・ウォー著、ちくま文庫、1990年)

明治〜昭和初期の日本の上流階級(貴族)がどんな言葉で話していたのかなんて知らないのですが、上品な話し言葉フェチ(下品な言い回しですみません)な私としては、とてもリアルに思える独特な言葉遣いがたまらないのでした(リアルというよりは吉田語という気もしますが・・・)。

話が別の本にずれてしまってすみません。そんな吉田健一の肉声がおさめられたこの本、『吉田健一 対談集成』は、「よく手入れの行届いたフランス式の庭には梅雨が煙」っている目黒の外相官邸(旧朝香宮邸、現在の東京都庭園美術館)での、吉田茂とのひかえめな親子対談(1949年)から始まります。その他にも、そうそうたる面子とおもにイギリス、文学について、映画や笑いについて「放談」しているのが収められています。

父である吉田茂についてあまり語らなかったとされる吉田健一ですが、この本では楽しそうに話しているのも魅力です。
  
 吉田 (前略)政治家って、二つの型があるのね。乱世の政治家と、天下泰平型と・・・・・・。おやじは乱世の政治家なんだ。(中略)〝二・二六〟のときだって、おやじ、うれしそうな顔してたからなあ。
 池島(信平) どうして?
 吉田 だってたいへんでしょ、あのとき。ごちゃごちゃして・・・・・・。
 池島 そうなると、張り切るのか。(笑)
 吉田 そっと牧野さん(伸顕※健一の母方の祖父)を助け出したりとか、なんとかさんをどうとかしたりとか・・・・・・。
 池島 急にいきいきする。
 吉田 かわいそうに、あれまでずーっと浪人してたでしょ。急に若返ったよ。なかなかよかったですよ。
         (「恋愛小説の注文ありませんか」池島信平との対談より)

明治の初めの、侍の気魄を残したような偉人たちを周囲に見て育ってきた同世代の人物と語らう中で、
そうした「先輩」は「イギリスの偉い爺さん」と似ている、もしかしたら(英国的)教養というのが似ているんじゃないか、真の愛国心があるという連中は、教養がいちばん大事なんじゃないか。と語っているのが印象的でした。もちろん教養とは、英国経由のものだけではないのですが、古典文学がどう役立つんだ、という政治家の方が多そうですものね、今の日本も。

吉田健一の有力な魅力に、「いきなりの言い切り」や、感覚的な言葉づかいがあります。いっぺん読んだだけでは、わかったようなわからないような・・・のは私だけかもしれませんが。もちろんなんとなくはわかりますが、美しい独断と私は呼んでいます。たとえば、

 吉田 (前略)(英国文学の中心をなす家庭生活に比して)そうね、僕の子どものころの日本の普通の家庭の生活というものがああいうものでしたよ。なにもありゃしないんだ。ただ朝、実に簡単に夜が明けるから朝飯の時間がくるでしょう。朝飯を食って、それからこっちはちょっと今日はねなんて言って(中略)、じゃあわれわれはなんとかと言うから、そうかいと言って、それで昼飯になる。やがて晩飯になる。寝る。それで楽しいんですよ。
            (「二十世紀と文学」佐伯彰一との対談)

こんな調子で、さらにどんどん話題が逸脱していくと、どこまでも行ってもらいたくなります。
徳川夢声は吉田健一の初対面の印象を「ニョロニョロヒャー」と表しています(所収「問答有用」)。
うーん、想像できます! ぜひ、本当の肉声を聞いてみたかったです。

ところで、「あるびよん」(昭和24年から吉田健一の発行していた英国紹介雑誌)という雑誌があったことをうっかりしておりました(汗)。一度古書市で見たことがあったものの、すっかりその雑誌を忘れて、ブログタイトルにしてしまい、まんま真似になってしまったのに、全然英国風でないことをこっそりおわびいたします。

今日も読みにくい文章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
梅雨時の庭園美術館に行きたくなってしまいました。

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